新撰組隊服「ダンダラ染め」

新撰組の浅葱色の羽織が幕末動乱の京都に翻る

新撰組を想い描く時、まず浮かぶのが、「ダンダラ染めの羽織」を纏った姿ではないでしょうか。
この羽織は、浅葱色に袖口を山型に白く染め抜いた羽織だったとされています。元禄十五年(1702年)の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした時に着ていたとされている装束を真似たとも、壬生狂言の演目「ほうらく割り」に出てくる衣装を真似たとも言われています。
しかし実際は赤穂浪士は討ち入りの時、そのような装束で討ち入りしていないとされ、あくまでもお芝居の衣装(仮名手本忠臣蔵)とされています。どちらを真似たか、双方からヒントを得て仕立てたのかわかりませんが、千年の都大路をそのダンダラ羽織を着て闊歩していたのですから人目は惹いたことでしょう。もちろんそれが第一の隊服を着ることの目的だったのでしょう。
そして新撰組がそのダンダラの羽織を纏った最初が、文久三年四月の将軍警護のために大坂に下った時だとされています。

その時の畏怖堂々たる姿を会津藩家臣、広沢富次郎は「鞅掌録」の中で、次のように語っています。

「浪士時に一様に外套を製し、長刀地を曳き、或は大髪頭を掩ひ、形貌甚だ偉しく、列をなして行く。逢ふ者皆目を傾けてこれを畏る」

新撰組隊士たちのその姿に人々が注目し、そして畏れた様子が伺えます。 羽織を考案したのは、土方歳三とも言われていますが、代金を用立てしたのは、新撰組筆頭局長芹沢鴨です。大坂の豪商である鴻池より二百両ほど用立てしてもらったとされていますが、どうやら実際に隊服代金は、大坂の両替商平野屋が用立てした百両が当てられたようです。
そしてその金子で呉服屋大丸で仕立てさせたとされていますが、少々?金子が不足した分は、踏み倒したそうです。