浪士組〜新撰組

【浪士組結成の目的】
文久三年(1863年)、十四代将軍徳川家茂が和宮降嫁の天皇への御礼、そして攘夷の勅諚を受けるために上洛する警護の目的を第一とし、市中に溢れる浪士たちを江戸より離す意味も含め幕府が募る。

【松平主税介忠敬】浪士取締役
浪士募集案を清河八郎に勧められ幕閣に進言した人物であったが、浪士応募人数のことで清河と衝突し、取締役を辞職する。当初、幕府が予定していた人数は五十人に対し、清河が集めた人数は三百人を超えており、幕府より用意されていた支度金は、一人五十両とされ、総額二千五百両でした。
【清河八郎】浪士頭取
【山岡鉄太郎 鉄舟】浪士取締役
【松岡万】浪士取締役
【鵜殿鳩翁】辞職した松平主税介忠敬の後任。幕府目付役を退き隠居していたが、急遽五百俵で浪士取締の任に就く。

文久三年(1863年)二月八日、小石川伝通院から京に向けて浪士組が出発するときの浪士組総人数は二百三十四名。浪士組は一組を三十名づつの七組に分け、それぞれを三隊に分ける。

試衛館と芹澤一派の浪士組配属先及び届け出年齢

氏名年齢配属
近藤勇三十歳第三小隊小頭先番宿割
井上源三郎三十五歳三番組第二小隊
土方歳三二十九歳六番組第三小隊
沖田総司二十二歳六番組第三小隊
山南敬助三十歳六番組第三小隊
永倉新八二十五歳六番組第三小隊
原田左之助二十四歳六番組第三小隊
藤堂平助二十二歳六番組第三小隊
芹澤鴨三十二歳道中取締方兼先番六番組小頭
新見錦二十八歳三番組第二小隊小頭
平間重助四十一歳六番組第三小隊
野口健司二十五歳六番組第三小隊
平山五郎三十五歳六番組第三小隊

後の新撰組大幹部たちも浪士組にいた時は、その他大勢の一人でしかなかったのです