清河八郎

知略に長け、弁舌に長けた稀代の策士清河八郎、尊王攘夷を胸に秘め、
彼が京都へと導いた浪士団、そして其処から生まれた新撰組

 清河八郎(1830〜1863)、出羽国庄内の出身である彼もまた近藤勇たちと同じ郷士という身分の生まれでした。 「文」「武」両道に秀でた人物であり、彼こそ京に上洛のための将軍警護という名目で幕府より資金を出させ浪士(試衛館一門を含む)を集め京へと導いた立て役者でもあります。
確かに彼は、最初から幕府を欺いていたわけですが、ともあれ新撰組の中心核となる人物達を京へ導いたのは事実です。 そういうことでは、新撰組誕生のきっかけを作った人物といえます。
彼が浪士を集めた目的は、将軍警護のためなどではなく、攘夷のための人材を集めることでした。幕府打倒のための人材を集める資金を幕府に出させる・・・幕府としてはこれほど屈辱的なこともなかったでしょう。

しかし、そんな清河の筋書きになかったのが、試衛館、そして芹沢鴨率いる水戸派の京都への残留意志でした。 それは、そうです、たかが支度金十両に釣られて集まってきた連中ばかりだと思っていたのに・・そしてこれが清河八郎にとってつまずきのはじまりでした。
幕府側も彼を見逃すはずはありません、幕府の密命を受けた浪士取締出役、佐々木只三郎に清河暗殺命令がくだります。 そして清河八郎は、江戸に帰って一ヶ月足らずで命を奪われることとなるのです。 この時代、暗殺という行為は「天誅」という名のもとの暗殺しかり、幕藩体制がくずれつつある象徴的行動だったのかもしれません。
そして、また、この暗殺という闇に染まった役目もまた新撰組が担うこととなるのです。