新撰組結成

近藤勇、土方歳三、沖田総司は、浪士隊として上洛後、京都守護職会津藩御預かりとして
壬生にて「新撰組」を結成。
倒幕浪士たちを震撼させた幕末最強の剣客集団が誕生する。

幕末最強の剣客集団「新撰組」誕生

 新撰組とは、文久三年(1863年)三月に結成された会津藩京都守護職御預の市中警備隊です。黒船来航によりそれまで鎖国政策をとっていた徳川幕府が揺らぎます。欧米の巨大な力を目の当たりにし、アメリカの要求である開国を余儀なくされます。 開国という国のあり方を決めるべき大事は、本来は、朝廷が決めることであり、朝廷より勅許を受けなければならず、幕府が独断で決定してはならないのです。しかし其れをしてしまった徳川幕府に対して長州を筆頭とした尊王攘夷派を多く抱えた大藩が反発します。 そして攘夷志士たちの攻撃の的が異国から徳川幕府へと向けられるようになります。志士たちの倒幕活動が広がる中、公家の中にも徳川の姿勢を正すべきとの意見がでます。 京都に暗雲広がる中、朝廷への将軍家の忠誠を改めて誓うべく、二百数十年の時を経て将軍が上洛することとなるのです。

そして文久二年、清河八郎の発案により「将軍徳川家茂上洛の警護」のため幕府は浪士を募集します。剣術に心得のある者を募ります。
そして、その浪士組に志願したのが、天然理心流試衛館道場の宗家であった近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、試衛館道場の食客であった北辰一刀流免許皆伝者である山南敬介らです。そして近藤らは、集まった浪士隊の面々の中で水戸浪士である芹沢鴨、新見錦らと出会います。
文久三年二月、浪士隊は京都に到着しますが、清河八郎が一転、倒幕の意志を表したため、近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬介ら天然理心流試衛館道場の面々に加えて水戸浪士、芹沢鴨、新見錦、平間重助、野口健司、平山五郎らが共に浪士隊を脱隊し京都に残り、芹沢の縁そして佐々木只三郎の口添えもあり、彼らは会津藩お抱えの浪士団を結成し壬生に屯所を構えることとなります。

文久三年八月十八日の政変を機に「新撰組」と名を改め、幕末最強と謳われた剣客集団「新撰組」が誕生します。
しかし、近藤派と芹沢派が対立を始めるのです。同年夏、新見錦を切腹に追い込み、新撰組筆頭局長であった芹沢鴨とその一派を粛清し、近藤勇を新撰組の唯一の頭として土方歳三は、鐵の軍律新撰組局中法度を厳守させ、法度書に違反する新撰組隊士には切腹という厳しい処断を下します。そうすることにより新撰組を規律ある強い武士の集団にしようとするのです。
そして彼ら新撰組隊士達は高々と「誠」の旗を掲げ、白刃の下、浅葱色の羽織を血に染めながら倒幕浪士たちとの死闘を繰り広げることになります。
そして、京都を震撼させることとなった幕末最大の斬り込み「新撰組池田屋事件」へと向かうのです。