労咳〜肺病〜結核

遥か昔より恐れられてきた病「結核」、幕末明治にかけ蔓延し、
そして新撰組沖田総司の命を奪ったとされる病「労咳」

現代においては「結核」と名付けられるこの病も昔は、「労咳」時を経て、「肺病」と呼ばれ、そして1882年、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホによって結核菌 Mycobacterium tuberculosis が発見され「結核」と呼ばれるに至るのですが、江戸幕末頃までは、この結核〜労咳を発症する経緯、原因も定かではなく、遺伝(親兄弟間による遺伝)、伝染(瘴気による第三者よりの感染)等の説が挙げられましたが確証はなく、特効薬もなく「死病」と恐れられてきました。 当サイト新撰組活劇は幕末、新撰組を題材としたサイトですので、幕末時代に流行、猖獗を極めた伝染病について少々お話させて頂きます。

江戸幕末、文久二年(1862年)に猖獗を極めた麻疹とコレラは、日本ばかりでなく西洋でも多くの人々の命を奪ったのです。コレラ、麻疹は周期的に大流行するとされておりましたが、文久二年夏のコレラは、江戸だけで十万人ともそれ以上ともされた人命を奪いました。しかしこれらの疫病は、「急性」のもので、「労咳〜結核」とは、違う性質の病です。「結核〜労咳」と人間との歴史は長く、人々は太古よりこの病に恐れてきたとされています。特に幕末動乱期、明治維新の頃、非衛生的な生活環境の中、肺結核が蔓延し、多くの若者もこの病に命を奪われることとなります。幕末時代では、幕末志士高杉晋作、そして新撰組沖田総司も労咳、肺結核により若くしてその生涯を閉じたとされています。

この結核という病は、結核菌という細長い形状をした2〜4ミクロンという大きさの桿菌が肺(肺結核の場合)に侵入し、増殖し肺組織を食い尽くすのです。しかし人間には元来抵抗力という味方が備わっており、結核菌に感染したとしても多くの場合、体内で白血球により菌が食われ・・・ま、いわゆる結核を発症せずに済むわけですが、抵抗力のない者、乳幼児、老人は、発症しやすいとされています。 高杉晋作は、幼い頃より体が弱かったと伝えられておりますし、沖田総司は数えで十九歳の頃、流行した麻疹に感染し生死の境を彷徨ったと伝えられておりますので、麻疹は、喉及び肺にダメージを与えます、そして抵抗力を著しく低下させますので、もしかして沖田総司は、十九歳の麻疹で弱っていた時に結核菌による感染があったのかもしれません。

若しくは、沖田総司はそれ以前に結核菌に感染しており、麻疹により抵抗力が落ちた時に「労咳」を発病することとなったのかもしれません。その時点では「肋膜炎」を患っていた可能性もあります。 結核菌は、他の伝染性のある細菌と比較して増殖、繁殖が遅いのです。ですから非常にゆっくりと病は進行していき、何年もかけて体内で病変を拡げていくのです。時には、菌が一旦休眠状態に入り、抵抗力が弱まった頃、再び発病することもあります。 現代でこそ「化学療法」として結核菌を抑え込む、死滅させるストレプトマイシン、リファンピシン等の抗生物質が治療薬として結核患者に投与されますが、江戸時代当時、「労咳」には「養生」という、風通しの良い場所で、安静にし、十分な栄養を取るということが、当時死病とされていた「労咳」への唯一の治療方法とされていました。

「高麗人参」という高価な薬草が「労咳」に利くともされていましたが、親指程の大きさの物が一両したとされていますので、余程裕福な者しか「高麗人参」を手に入れることができませんでした。庶民の間では、「労咳」は一種の気の病から来るもので、パッと憂さを晴らせば病も治るなどという風潮もあり、江戸の若者たちは「吉原」などに通いつめることもあった・・・と。つまり結核菌を保有した者が遊女を抱き、そして遊女が労咳の客から結核を移される、そしてその遊女から別の客へと結核菌が流れる・・・という具合に当時は、遊郭、岡場所などが「労咳」の坩堝だったそうです。
「肺病〜労咳」の初期症状としては、全身の倦怠感、夕刻に出る微熱、寝汗、胸痛等ですが、それらが進み、血痰を吐き始め、そして喀血に至るのですが、当時の人は喀血したからとそれが肺からか胃などからの喀血か判断しずらかったようです。胃から吐いた血は、静脈よりの血ですから暗めの血ですし、肺からの喀血は動脈よりの血ですので鮮紅色をしています。

抗生物質が世に出廻るずっと以前より、喀血しても十年、二十年命を繋げることが出来た人も多くおりました。もちろん喀血し、早ければ数ヶ月、そして数年後という患者も・・・こればかりは、その人の持って生まれた「天寿」としてしか計れなかったのかもしれません。
労咳患者に襲い来る病との闘い、試練は喀血による呼吸困難、結核菌が脊髄、腸へと拡がることによる衰弱です。初めての喀血より長く命を繋げられたとしても、腸に結核菌が回った場合は、栄養を体に吸収することも出来なくなります、「腸結核」つまり、労咳の末期症状となります。 死病とされた「労咳肺病」患者の最期の姿は・・ この二十一世紀に至っても「労咳〜肺病〜結核」は、決して過去の病ではありません。衛生、規則正しい生活、栄養といった事に十分気を付けながら生活して行かなくてはなりません。