心形刀流剣術

幕末の剣豪「伊庭八郎」を世に送り出した江戸四大剣術流派「心形刀流」

 江戸三大剣術道場、玄武館(北辰一刀流)、練兵館(神道無念流)、士学館(鏡新明智流)に並び四大剣術流派として加えられる実力を誇っていたのが心形刀流剣術です。 開祖は伊庭惣佐衛門秀明(いばそうざえもんひであき)、号(本名とは別に用いる名、雅号)を是水軒(ぜすいけん)という人物です。
彼はまず柳生新陰流を学び、次に本心刀流、志賀秀明を師とし、最期に本心刀流開祖である妻方謙寿斎貞明(めかたけんじゅさいさだあき)のもとで修行し腕を磨き、印可(極意免許)を受けるほどの腕前となります。
そして天和二年(1682年)三十四歳で心形刀流を興します。
伊庭秀明は三大剣術源流とされる天真正伝香取神道流、柳生新陰流、中条流の三流派の極意を一つの流派に収めた偉大な人物とも伝えられています。

伊庭秀明は道場を江戸下谷御徒町(おかまち)に構えていたと言われています。
彼が六十五歳で病死したあと二代目を継いだのが実子であった伊庭軍兵衛秀康ですが、先代秀明の一子相伝でなく実力に重きをおいた宗家継承の意思もあり、二代目秀康よりあとの宗家は実力ある門人の中から選ばれたとされています。
天然理心流もそうでした。このように剣術流派継承に血よりも才に重きをおくことこそ流派隆盛には必要なことだったといえます。
八代目伊庭軍兵衛秀業の時代には心形刀流、伊庭道場は江戸四大道場の一つに数えられるほどとなります。 そして幕末の剣豪として名高い伊庭八郎を送りだすのです。新撰組隊士の中で心形刀流は、古川小二郎、島田魁そして彼と同じく坪内主馬の門人であった永倉新八です。