神道無念流剣術

桂小五郎、高杉晋作そして新撰組筆頭局長芹澤鴨もその門人であった 江戸三大剣術流派「神道無念流」

 神道無念流と新撰組の関係は深く、壬生浪士組当時、そして新撰組の名を拝領する文久三年(1863年)までは、天然理心流(近藤派)と神道無念流(芹沢派)の睨み合いの関係だったと言えるのではないでしょうか。
(永倉新八も神道無念流〜心形刀流〜)ですが、試衛館時代から繋がる近藤派です)。
神道無念流の創始者は、福井兵右衛門、元禄十五年(1702年)下野国都賀に生まれる。新神陰一円流を学んだ後、武者修行に各地を巡り、信州戸隠山にて飯綱明神の神託を授かったとして「神道無念流」を開いた。
彼の死後、無念流、練兵館を江戸三大道場と呼ばれるまで広めたのは、二代目、岡田十松、そしてその門人であった斎藤弥九郎です。
神道無念流の奥義は、「自然の流れに従い、身を任せる」ということです。この頃、竹刀と防具を身にまとった稽古が盛んに行われるようになり、そのおかげで力の限り打ち合うという試合稽古をすることができるようになりました。そして練兵館もいち早くそれを取り入れたのです。
長州藩との関係も深く多くの幕末志士たちがこの神道無念流の門人となっています。高杉晋作、桂小五郎(塾頭)がそうです。
新撰組隊士では、局長の芹澤鴨、新見錦、野口健司、平間重助、平山五郎(芹澤派)そして二番隊組長、永倉新八(近藤派)です。