一刀流剣術

 一刀流の開祖とされる伊藤一刀斎景久は、鐘捲流鐘捲自斎を師とし、中条流小太刀及び鐘捲流中太刀を学び、その奥義である高上極意五点と呼ばれる秘技、「妙剣〜折敷きながら敵の剣を払い、喉を狙うとみせ、左小手を斬る技」、「絶妙剣〜同じく敵の剣を払いながら折敷となり喉そして次に右小手を斬る技」、「真剣〜妙剣、絶妙剣が構えを隠剣の構え(脇構えであるが、正面の敵からは剣を見えない位置とする)をとるのに対し、この技は敵の眼には点となるごとく刀の刃を自分の正面に構え、まず一太刀目、かわす敵に対して霞の構え(上段)を取り再び斬り込む二太刀目、そして正眼の構え(中段)を取り、敵の面を切り落とす技」、  「金翅鳥王剣〜激しく斬り込んでくる敵と切り結びながらも敵の小手を斬る技」、「独妙剣〜隠の構えをとり、敵が切り落とさんとする刀を払いながら折敷きとなり敵の喉を狙い、次に立ち上がり、胸正面に上げた刀を切っ先が敵の眼に点と映るように構え、向って来る刀を刷り上げると同時に再び、折敷きとなり敵の正面、顔面を斬り落とす技」、以上が「高上極意五点」。

伊藤一刀斎は、極意五点を基本とし、深夜、丸腰での寝込みを襲われた時に、素手で敵を交わしながら刀を奪い自らあみ出したとされる技、複数の敵に対しての技「払捨刀」を体得し、伊藤一刀斎は、激しい戦いの中にその身を投じ、自らの技に磨きをかけていきます。
そして生まれたのが「一刀流剣術」です。一刀流の剣技は「切落とし」、敵の刃を避ける事なく、相打ち覚悟で向い、敵を斬り落とすのです。「一刀流」は、伊藤一刀斎が創始しますが、彼は、仕官することなく、生涯その身を野に置いたとされています。そしてその「一刀流剣術」を受け継いだのは、小野次郎右衛門忠明。彼は、師一刀斎より授かった「一刀流剣術」を以て、徳川家康公に仕え、そして徳川二代将軍、秀忠の剣術指南役となります。
これにより、「一刀流」は、将軍家御流儀となるのです。そして伊藤一刀斎が創始した「一刀流」は、その技を新たに発展させた小野次郎右衛門忠明を宗家とした「小野派一刀流剣術」に生まれ変わるのです。

「小野派一刀流」は、二代目を忠常としますが、多くの分派を生み出すことにもなりました。一派には、小野次郎右衛門忠明の弟子であった溝口新五左衛門正則が創始した「溝口派一刀流」があります。この流派は、のちに「会津五流」の一派ともされます。五代目小野次郎右衛門忠一より分派した流派に「中西派」があり、のちにその流れの中から、千葉周作が開祖となる「北辰一刀流」が生まれる。一刀流は多くの分派を生み出すが、宗家は「小野派一刀流」であります。新撰組隊士の中で一刀流の遣い手とされるのは、新撰組三番隊長であり、撃剣師範でもあった斎藤一です。

剣術「折敷き」
上記挿絵が折敷きとなり喉を狙った体勢